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テイ橋の崩落 [BR極東局]

ロンドン・アンド・ノース・イースタン鉄道(LNER)の前身企業の一つであるノース・ブリティッシュ鉄道(NBR)は、エディンバラから北、アバディーンへ向けて路線を展開していましたが、途中、フォース湾(Firth of Forth)、テイ湾(Firth of Tay)の2つの大きな峡湾(Firth)が、列車運行上の障害となっていました。
峡湾は渡船で接続していましたが、NBRは、それぞれの湾口付近を最短距離で渡る鉄道橋を建設することにします。
ちなみに、峡湾を最奥まで遡って迂回する路線は既に存在していましたが、距離的に大幅に大回りになる上、途中でライバルのカレドニアン鉄道(CR)の路線を利用させてもらう必要もあったことから、NBRはこの架橋によって、独自でかつ最短のルートを手に入れることを目論んだのです。
まず架橋されたのは、水深の浅いテイ湾の方で、技術者として当時既に高名であったトーマス・バウチ(Thomas Bouch)の設計、指導、施工により、1878年7月に初代のテイ橋が竣工します。全長およそ3km、水面上高さおよそ20mの長大橋であり、この功績によってバウチにはナイトの称号が与えられます。
しかし、架橋から約1年半後の1879年12月28日夜、テイ橋上を走行していた夜行急行列車が、橋の中央部分に差しかかかったあたりで、この地域、この季節に特有の暴風(mighty gale)に煽られて脱線します。
通常であれば、橋の構造物に支えられて事なきを得たのかもしれませんが、このときは、あろうことか橋の構造物が、脱線した車両の衝撃と重量に耐えきれずに崩壊。列車は橋ごと海中に転落し、乗客、乗員の全員が犠牲になる大参事となります。
後の事故調査の結果、バウチによる橋の設計が不適切だった上、錬鉄や鋳鉄で造られた橋の構造物が、納入された鉄材の不良、および製造者による手抜きによって強度不足であり、しかも施工者の手抜きや不手際もあって、設計強度に達していなかったこと、さらには架橋後の保守点検も適切でなかったことなどが判明。
バウチは社会的信用を失い、並行して委嘱されていたフォース橋の建設は中止され、同事故で女婿を失ったこともあって翌年、彼は失意のうちに死去してしまいます。
事故後の捜索により、海中から機関車や客車の残骸が引き揚げられますが、事故からおよそ4ヶ月後に発見され、引き揚げられた機関車(224class, No.224)はさほど損傷しておらず、驚くべきことに工場で修理されて現役に復帰。現場の機関士たちなどから"The Diver"あるいは"Tay Bridge Engine"などの仇名を付けられながら、さすがに1923年のLNERへの大合併までは無理でしたが、1919年まで現役で使用され続けました。数奇な運命といえましょう。
テイ橋についてはこちら
http://asait.world.coocan.jp/kuiper_belt/canal12/tay_rail_bridge.htm
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%86%E3%82%A4%E6%A9%8B
テイブリッジエンジンについてはこちら
https://en.wikipedia.org/wiki/NBR_224_and_420_Classes
参考文献はこちら


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コメント 4

hideta-o

xml_xslさま
常武鉄道さま
ネオ・アッキーさま
鉄腕原子さま
nice!ありがとうございます。
by hideta-o (2019-08-31 16:06) 

hideta-o

@ミックさま
芝浦鉄親父さま
kooさま
いっぷくさま
nice!ありがとうございます。
by hideta-o (2019-08-31 16:07) 

hideta-o

あおたけさま
tarouさま
スーおばさんさま
gardenwalkerさま
nice!ありがとうございます。
by hideta-o (2019-08-31 16:08) 

hideta-o

hanamuraさま
Cedarさま
nice!ありがとうございます。
by hideta-o (2019-08-31 16:09) 

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